平和のための活動
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ベートーヴェンが『第九』で投げかけた200年前のメッセージ、「平和」「人類愛」「歓喜」
21世紀に生きる私たちは、実現できているでしょうか。


1 平和のための活動に取り組むことになったきっかけは

2002年第4回海外公演「ポーランド公演」です。

第4回海外公演は、第二次大戦で人類史上最も残虐な不幸を目の当たりにし、現在尊い平和を勝ち得た国として「ポーランド」を選択しました。


ポーランドは、第二次大戦の開戦地、そうナチスドイツの侵略が始まった国です。
その地で、旧侵略者ドイツの歌曲を歌うことの不安はありましたが、ポーランドはEU(ヨーロッパ連合)への加盟が決まり、第九をドイツの歌曲としてではなく、人類の歌曲として、EU国歌として受け入れようとしていたのです。
第九の精神である「人類平等」「平和」「博愛」を受け入れてくれたからです。


そして冷戦や第二次大戦の傷跡残る旧都クラクフ、首都ワルシャワ、ショパン生家を巡る計画。
さらに、アウシュヴィッツ強制収容所においてミサ曲を献曲する計画もたてました。


オプショナルツアーも冷戦の傷跡残るドイツ首都のベルリン、そして旧東ドイツのドレスデン。




その準備中の2001年に起こったアメリカ同時多発テロが衝撃的でした。

ウィキペディア「アメリカ同時多発テロ事件」:
アメリカ同時多発テロ事件は、2001年9月11日にアメリカ合衆国で発生した、航空機を使った4つのテロ事件の呼称である。航空機を使った前代未聞の規模のテロ事件であり、全世界に衝撃を与えた。その後、アメリカはアフガニスタン紛争、イラク戦争を行うことになる。



一般の航空機を使った無差別テロは、海外旅行者の最大の不安要素になりましたが、同時に平和を望む世界市民の憤りを買ったことも確かです。
私たちは、この話し合いもなく人命を奪い合うこの戦いに次のようなスローガンを掲げました。

21世紀という新しい節目を過ぎたばかりの人類は、なんと悲劇的な争いを繰り返しているのでしょうか?
人種・ことば・宗教・国境を越え、今こそ世界の人々と心を一つにし、平和を祈り、歓びを分かち合おうではありませんか。



このスローガンに応えていただいたのは、参加した団員はもちろんのこと、行政にも影響を及ぼしました。




人類の平和のためのポーランド第九コンサート「日ポ合同第九演奏会」(詳しくはこちら

文化庁派遣事業「平成14年度地域文化国際交流事業」(コーラスの部、国内唯一)


群馬県教育委員会契約事業(上記事業に基づく委任契約事業)


国際文化招聘事業(ポーランド共和国ザブジェ市招聘事業


日本文化紹介事業(在ポーランド日本大使館「2002日本芸術週間事業」


後援:群馬県、高崎市、群馬県教育委員会、高崎市教育委員会、群馬県教育文化事業団、ポーランド・ザブジェ市、ポーランド文化協会、シレジア地方会議



2 平和のための具体的な活動とは

アウシュヴィッツ強制収容所におけるミサ曲の献曲は衝撃的でした。

アウシュヴィッツ強制収容所、ポーランド語でオシフィンチムは、強制収容所から絶滅収容所へその機能を転換していき、ここで28の民族150万人といわれる人々の命を奪いました。


アウシュヴィッツ強制収容所での献曲


銃殺により20万人の犠牲者を出した「死の壁」。
真剣な表情で、囚人たちが銃殺された壁の前で手を合わせました。
心の動揺で、献歌のミサ曲を歌うことができるのだろうかと心配し、涙がでてきそうになるのを必死に抑えて歌に集中し、ポーランドに伝わるミサ曲をポーランド語で献曲しました。
選曲は、唯一の日本人公式ガイドの中谷剛氏へ2001年に依頼し、日本では手に入らない楽譜を取り寄せ、この日まで練習してきました。


哀しみと同情しきれない悲惨さに、どの団員の顔からも笑みが奪われました。

世界中から訪れていた見学者の無言の支持を得ることができました。




群馬県原爆犠牲者慰霊式においてもミサ曲と第九を献曲しました。

原爆犠牲者慰霊式での献曲


昭和20年8月の広島・長崎の原爆による群馬県出身の原爆被害者の慰霊のために関係者が毎年行っているものです。


高崎第九合唱団がポーランド公演の折、アウシュヴィッツにおいてミサ曲を献曲したというバス長谷川忠さん(故人)の記事を、群馬県原爆被災者の会会長須藤叔彦さんが読み、高崎第九合唱団に是非歌ってほしいと依頼がきたものです。


世界平和を願う第九の思想は、戦争を憎み、原爆を許さない。アウシュヴィッツの悲劇も繰り返してはならないと思います。


平和のために第九を歌い、アウシュヴィッツでもミサ曲を歌った団体は、全世界で私たちだけなのです。


3 そして非戦を貫いた国へ

2006年の第5回海外公演は、世界が湾岸戦争に釘付けになっていた1991年、あの巨大な旧ソ連から合唱により独立したバルト三国で行いました。
(詳しくはこちら


旧ソ連の巨大な軍事力を前に、血を流してもバルト三国の人々は「民族の歌」を歌い続けました。
バルト三国では旧ソ連に併合されてから、それぞれの国の言葉の使用が禁じられました。
それぞれの国の言葉は、ただ人々の心の中だけに、「民族の歌」として50年間残されていたのです。


銃ではなく手を取り合い、1989年バルト三国の首都を人間の鎖が結びつけました。

1989年バルト三国における人間の鎖写真はモノクロですが平成の写真です。(平成元年)

ウィキペディア「人間の鎖」:
1989年8月23日に、ソビエト連邦の統治下にあったバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)で、独立運動の一環として行われたデモ活動。バルトの道ともいう。

およそ200万人が参加して手をつなぎ、3カ国を結び、600km以上の人間の鎖を形成した。このデモンストレーションは、バルト三国のソ連併合を認めた独ソ不可侵条約秘密議定書締結50周年を期して行われ、三国が共通の歴史的運命を共有していることを、国際社会に訴えるために行われた。

(中略)

抗議「人間の鎖」は地元の共産党当局によって認可され、鎖が切れないよう、周到に計画された。例えば、各都市や町には担当の場所が割り当てられ、他の交通手段を持たない参加者には無料バスを提供するよう指示された。参加者は、現地時間午後7時から15分間手をつないだ。この集会を調整するため、特別のラジオ放送も行われた。

その後、各地で多くの集会や抗議行動が行われるようになった。ヴィリニュスでは大聖堂前で数千人が、ろうそくを持って国歌をはじめとする民族の歌を歌った。他の場所では神父がミサを行い、教会の鐘を鳴らした。エストニアとラトビアの国民戦線は二国の国境で集会を開き、巨大な黒い十字架に火がともされ、象徴的な葬儀が営まれた。 抗議行動はまったく平和裏に行われたが、参加者は報復や制裁がなされることを恐れた。



民族の独立をかけた戦争は、世界各地で繰り返されました。
しかしバルトの人々は世界最大級の軍事力に、「民族の歌」を歌い続け非戦で独立を勝ち取りました。
三国は言語も宗教も人種も違います。でも民族の誇りと独立心は共通でした。


「合唱と踊り」が世界遺産に指定されたバルト三国。そのリトアニアの首都を選びました。
その後は、ローマ法王も訪れた十字架の丘、ラトヴィア、エストニアを訪問しました。


「平和」は、人々の絆によって生まれ、「民族の歌」によって刻まれるのではないでしょうか。
言葉や宗教や人種とかではなく、神をも超えた「魔力」があるのではないでしょうか。

第九の一節にこうあります
汝の魔力は、この世の習わしが厳しく分け隔てようとも、再び結びつける。

この魔力は、「音楽」であり「民族の歌」であり「世界市民の歌」であると考えられないでしょうか。
EU(ヨーロッパ連合)は、「第九」を国歌にし、ユネスコは、「第九」を世界遺産にしました。
私たち世界市民にも、この「魔力」を使う行動が求められているのではないでしょうか。

ベートーヴェンの「第九」の中に出てくる「神」は、「人格」の無いものを指していると言われています。
それはシラーの詩に出会った若い頃のベートーヴェンとは異なり、数度の苦難を乗り越え、周囲の人間の死を目の当たりにし、自らをむしばむ病魔も進行し、晩年読んでいたギリシャ神話やインド仏教の本などからも推測されているのです。


そして、「第九」には演奏家を悩ませるほどの重点があり、それぞれの楽器にソロを演じさせるような部分があります。
第一楽章から第三楽章までには明確な旋律こそ含まれていませんが、これまでのベートーヴェンの作曲の特徴を出し尽くすかのように描かれ、第四楽章でそのすべてを回想しては否定してしまう。
ベートーヴェンは「シラーの原作」からでなく「自分の音楽人生」から、何かに気付いたのではないでしょうか。


その証拠に音楽の歴史は、「第九」を境に大きく変革期を迎えていきます。


高崎第九合唱団の「第九」は、世界の平和を歌います。

やわらかき翼のもとに集う人類は、みな兄弟となる。

すごいけど、誰でも参加できる。誰でも歌える。仲間が待っている。